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866. 自分の心の色眼鏡

  • カテゴリ:大事なつもりなんだけど、読んでみて (中高生向け)
  • 前の記事「865. 感じられない人」で

    自分の色眼鏡(育ってくるときに自分に必ず付いてしまうもの)

    という言葉を使ったのですが、

    あまり聞きなれない言葉かもしれないので、

    僕の考えを解説したい

    と思います。


    様々なことを勉強したりするのは
    良いことだ

    と言われていますよね。


    僕もできることなら
    少しでもわかっていることや知っていること、できることが

    多いほうがいいだろう
    と思います。

    (「根本の根」で書いてある僕の考えも参考ください。)


    しかし、実は、
    人間の知は必ず限界があるので、

    自然、つまり、現実世界の方が大きい
    んです。


    なんで、
    様々な人を知っていると思っていても、
    目の前にいる新たな人は
    今まで知っている人とは全然違う人だし、

    同じ人でも、生きていてどんどん変わっていますから、
    「ああ、こんなところもあるんだ」と
    新たな気づきをすることがあるでしょう。


    自然に対しても同じだと思います。


    そして、
    「教育する」という行為自体にも
    偏見が生まれる土壌がある
    と考えられます。


    「教育する」ためには
    ある程度物事をはっきりと断定し、
    良い悪い、正解不正解をはっきりさせないといけないよう
    なのです。


    そのため、「良い、悪い」だったり、
    「何を推奨するか」のポリシーの軸がないことには
    教育できません。


    子供のころに自分の価値観を作るために
    必要なことです。


    が、物事はそんなに正解不正解がはっきりしていない場合もあるし、
    一斉に教えるときに「標準」的な物事のみ教えることになったりします。

    また、
    全ての場合を網羅できていなかったりしますし、
    一般的には人の考えを断定的に話すことはないのが通常なので、
    (個人の考え(私見)が必ずしも正しいとは限らないので。)

    そんなに断定的には書けないもの
    なんです。
    (実は、教育的な色合いの強い「根本の根」と「文章術」と
    その他の記事とは僕の考えの断定度合いが違っているんです。)


    また、ビギナーの人に「とりあえず」と言ってお勧めするのも
    全体像が見えているわけではないですから、
    それだけを知って、全てを知ったと思うのは間違いです。


    一度に理解できないので、

    どの教育段階でも、「とりあえず、ここまで」と言って学んでいくので、

    知ったそばから、偏見につながるような判断材料を身に着けていくのですが、

    これは人の本能として(能力の限界として)、もうしょうがないでしょう。
    (一度に理解できる量が限られているので、
    一回ですべてを理解できるということがなく、
    らせんのように同じ内容を繰り返し学びながら
    高く登っていく感じでもあります。)


    それでも、
    限定的でもきちんとわかって知ったことは使えますので、
    どんどんきちんとわかって知る範囲を増やしていく

    というのが

    人間としてできる最良のことではないか

    と思います。


    なんで、

    このような人間の学習過程のために、

    心の色眼鏡が

    育ってくるときに自分に必ず付いてしまうよう

    なんです。


    ですから、
    対応方法を考えないといけませんが、

    考えられる処方箋として、

    新たに考えたり、判断したり、観察したりするときは

    改めてよく見ることが大事だと思います。

    (知っていることは
    とりあえず知っていることで
    自動的に使うので役に立ちますから
    脇に置いておいて大丈夫だと思います。)


    既に知っていることが
    正解の全部ではありえませんから、

    知っていること、勉強したことが
    偏見のように働いてしまうことがある
    んです。


    知っていると思って
    よく見ないと、

    目の前の人や物事を表す理解ではなく
    自分の頭の中の情報をなぞって、押し付けただけの
    「理解をしたつもり」になってしまうでしょう。


    昔NHKスペシャルで将棋の棋士の羽生善治さんを特集した回があって、
    「ほほぉ」と思い、僕も気を付けようと思ったことがあって、

    (僕はちゃんと実践していて、
    今では普通の習慣となっています。)

    同じ将棋の場面でも、
    始めて見るときと同じように脳波が動いていた

    という
    観察結果なんです。


    「同じことでも、初めて見るように考える」
    ということを
    「どんな感じかな」と思いながら、やってみると、
    (昔から、繰り返し考えるのは好きだったのですが、
    まっさらに「初めて」というのは意識していなかったんです。)

    「わかっている」と思っていた状態よりも
    さらに深く考えて理解が得られるようだし、
    別の視点や対象の側面に気が付いたり、
    見えていなかったものが新たに見えるようになる感じ

    なんです。


    前に考えた時よりも、時間がたっていますから、
    ちゃんと暮らしていれば、
    自分も成長していますので、

    より賢くなった自分で考え直す

    というだけでも、

    有利な考え方だと思います。


    「知っている」と思い込んでよく見ないのも
    興味がないということにつながりますし、

    「これはあれ」「これはそれ」という感じで
    自分の頭の中の知った情報だけなぞっても

    いくら時間がたっても、年をとっても、
    自分の触れる内容が全然変わらないので、

    飽きちゃって退屈じゃないか

    と思います。



    <追記>2020.02.05
    研究などの人間の知の最先端でも


    研究などでは、

    とりあえずのみんなの知っていること、
    そしてそれによって形作られている世界観では

    ありえない

    物事、現象を発見した場合、
    (新たな考えの道筋で導かれた発見もあります。
    数学や物理などの理論系が有名です。)

    新たな知見を得た

    ということになって、

    商売のタネなんです。


    とりあえずのみんなの知っていること、
    そしてそれによって形作られている世界観が

    それまでの勉強で知っていることで

    それが適応できない現実があるということは

    現実は僕たちが思っていたのと違うということで、

    とりあえずのみんなの知っていること、
    そしてそれによって形作られている世界観が

    偏見として働いてしまう
    (偏見は実際の現実と違う知見のことなんで。)

    ということになります。

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