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739. 「気づき」と「悟り」

  • カテゴリ:丸暗記と考える力
  • 「気づき」と「悟り」についての僕の考えを
    記事にしてみたい
    と思います。

    まず、
    僕たちの「脳みそ」で、
    僕たちの体の外界や
    僕たちの脳自身を含めた体の内部の状態の情報を
    理解している

    ということを確認しておきましょう。



    さて、
    「気づくこと」と「悟ること」は
    どちらも僕たちの脳内で起こる精神的な活動です。
    (これらの精神的な活動が起こるとき、
    僕たちの内面、内的世界に変化が起こります。)

    どう違うのでしょう?
    (一般的な用語としての解説となります。)



    脳みそと外界や脳以外の体の内部は
    感覚神経でつながっています。
    (とりあえず、外界についてのみ書きます。
    脳以外の体の内部は外界同様です。)

    五感を通して、
    外界の情報をキャッチして、
    脳に情報を伝えています。


    例えば、視界に入っていても、耳に聞こえていたとしても、
    存在のあることを
    必ずしも把握していない場合がある

    と思います。


    存在していることを
    把握したとき、
    つまり、
    発見したときに
    「気づく」という行動
    となります。


    目に見えていても、耳で聞こえていても、
    人に言葉にして言ってもらわないと
    気が付けないタイプの人がいますし、
    他の人の気づきを参考にして、
    自分で発見することがある

    と思います。


    「気づく」ということは、
    情報収集の上で非常に大事なことです。



    さて、
    「気づく」ことで
    脳内で情報が認識されたとしましょう。

    次に、
    その情報に関する解釈をしないと、
    意味づけができませんので、
    情報が何者かわかりません。

    そこで、
    脳は
    情報について、
    様々に考えたり、思ってみたり、感じてみたりして、
    解釈をしようとします。

    その結果、
    「外界から得られた情報」に、
    「考え、思い、感情」の情報が付け加わり、
    脳内世界に新たな情報が付け加わります。

    その結果、
    僕たちの考える世界についての考え、
    世界観が構築されるのです。
    (世界観は、
    「気づいた外界の情報」と「それに関する解釈や感じた事、思い」の両方で
    構築されています。)


    ただ、
    脳は
    情報について、
    様々に考えたり、思ってみたり、感じてみたりして、
    解釈をしようとするのですが、

    必ずしも、
    脳内で
    「正解」の情報が生産される
    わけではありません。

    また、
    脳内での活動は、
    誰も他人が支配することができない
    (脳の中に手を入れて、修正できない)
    ですので、
    「自ず(おのず)から」という言葉で表されます。

    自分の力で自ずから「正解」の解釈ができたとき、
    そして、
    その答えに納得がいったとき、
    「悟った」ということになります。

    なので、
    ある情報に気づいて、
    その情報について、正しく理解できたとき、
    「気づいて悟る」という行動になります。

    脳内での
    意味づけの情報による世界観は
    他人が強制したり、矯正したりすることはできません。

    ですから、
    間違えて導き出した、誤った答えの解釈をしてしまったとしても、
    他人にはわかりません。

    また、
    わざと自己暗示をかけたりして、
    誤った解釈の情報を脳に入れることもできます。
    (その情報に従って、現実的に適さない行動をしていそうな人もいます。)

    誤った情報で脳内の情報が構築されていると、
    その人のしゃべることばは
    現実に合わないおかしい内容となるでしょう。


    では、考えた事、解釈したことが正しいかどうか、どうやって知ればよいのでしょうか?
    確かめればいいんです。
    考えた事、解釈したことは
    「あくまで、仮説」です。
    実証されるべきものです。

    「仮説である」、
    すなわち、
    100%正しいわけではない
    という自覚を持つだけで、
    正しく情報を扱うことができるようになるでしょう。

    また、
    良く見かけるのですが、
    勝手に自分の頭に浮かんだ考えが
    あくまで、「予想」であったり、「妄想」であったりしているのに、
    (正しい情報を導き出せるほど、情報を持っていない人であることはわかりますから。)
    気づかずに、決めつける人がいるようですが、
    気を付けた方がいいですよ。

    間違いだらけの頓珍漢な情報で脳内を構築していても、
    自分では気づいていない
    (つまり、自分の作ったデマ情報を信じ込んでしまっている)人
    になっている可能性が高い
    ですから。


    あくまで、内面は自分しか直接の影響を及ぼすことができないんです。
    自分で自分の頭で理解することしかできません。

    他の人が直接他人の考えを変えたり、
    自分のわかった内容を植え付けることはできない
    んです。

    どういうことでしょうか?


    例えば、
    間違えている人がいたときに、
    注意をすることがある
    と思います。

    これは、
    耳に「注意」の文字情報を入れることで、
    気づいてもらって、

    その情報を元に、
    過ちをしていることを
    相手自身の力で悟ってもらう
    ことを狙いとした行動でしか
    ありません。

    周りの人は
    「気づき」と「悟り」につながるような
    ヒントを出すことしかできないんです。
    (ヘレン・ケラーさんに水の存在と言葉の存在を気づき悟らせた、
    サリバン先生の行動のような行動となります。)



    きちんと理解できない人の脳内が
    大変なことになってしまうことが起こるのは、
    本人しか脳内情報の手入れができないから
    なんです。
    きちんと現実に合う情報で脳内情報を揃えないと
    現実的にふさわしくない行動をしてしまうでしょう。

    どうも、
    「考えるとは何か」、「感じるとは何か」、「思うとは何か」と
    「正しくわかるとは何か」が
    ごちゃごちゃになっている人がいるようなんです。


    気づいた外界の情報と、それに関する解釈の両方とも
    正しい情報として、
    脳内情報を構築しないと、
    脳内の世界観がめちゃくちゃになるでしょう。

    必ずしも、
    「脳内で自覚する世界観」と、
    「現実の世界の実際の姿」は
    一致していないんです。
    僕たち人類にとって、
    「わからないこと」、「知らないこと」、「間違えていること」を
    きちんと理解し、正しい情報にする努力を怠ってはいけませんし、
    研究や調査などをして、人類皆で追及しているんです。
    なぜかというと、正しい情報の方が生き残りやすいからです。

    人類全体でも正しい世界観を得るために活動をしていますが、
    個人レベルでも、きちんと正しい世界観の情報、解釈を持つように
    努めないと
    個人の生き残りに関わってきてしまいます。



    このサイトは、
    「気づき」の提案をするサイトでもあるのですが、
    このサイトには、
    「僕の気づき、発見」と「それについて考えたり感じたりした内容」が
    載っていますが、

    あくまで、みなさんの目に触れたり、耳に聞こえたりする情報となっていますので、
    みなさんの「気づき」の元となる情報を載せていることになっています。


    「どうか、僕の言うことをわかってください」という趣旨のサイトではありませんので、
    僕のサイトに載っている内容について、
    どのように受け止められるか(考えたり、感じたり、思ったりする)かは
    受け手の人の自由となっています。
    (なので、「悟ってください」とは絶対に言いません。)



    <追記>2019.09.20
    ダライ・ラマさんのお話しから考えるには


    様々な分野で、
    専門用語や技術用語という
    その分野限定で
    適応される意味が
    決まっている言葉がある

    んですよ。


    「傷ついた日本人へ」というダライ・ラマ14世さんのご本を読んでの
    僕の解釈となるのですが、

    お釈迦さまは非常に聡い方のようで、

    自分の体の外にある世界と
    自分の内面の世界とが一致していない

    可能性があることに

    気が付かれていたよう
    なんです。

    どういうことかというと、

    目で見たと思っているものが
    本当にこの世にあるのか、
    自分の体の外にあるのかどうか

    というところからの
    疑問を持たれたようなんです。

    くだけた感じの言葉にすると、
    「あなた、そう見えたと思っているだけでしょ、
    どうやって、本当にあるか証明できるの?」

    という疑問です。

    外にある物、
    例えば石でも水でも
    その物を頭に入れることはできませんので、

    「おのずから、あると認知する」
    ことになっちゃいますので、

    「悟る」という言葉で表現される

    ことになるんだと思うんですよ。
    (おそらく、仏教さんの用語的な感じではないかと思うんです。)

    ただ、
    認知科学が発達した現代において、
    「情報を収集する」という段階と
    「それについて解釈をする」という段階は
    分けて考えることができるようになってますので、

    一般用語的には
    「そのものがあることに気づく」ことを「悟る」とは表現できないのではないかと思います。

    さらになのですが、
    お釈迦様のお持ちになられた疑問は現代でも生きていて、
    人間や生物のシステムでは
    自分の認知したもの(例えば、見えていると思っているもの)が
    現実にあるのかは
    自分では判別できない可能性はあります。

    (ただ、食べないと死んじゃいますから、
    実際に身の回りのものは、対応関係が付く状態で観測できている
    と思って暮らしています。)

    自然科学もそう言われると困るんですよね。
    人間の感覚で、観測したものを元に議論していますから。

    例えば、
    物差しで長さを図るのって、
    目で見て測ってるじゃないですか?
    「この目盛りが、この物体の端と一致する」って見て確認しているので、
    それが「夢ですよ」と言われると困るんですよねぇ。
    一応、対応づいて、科学の理論を技術化して利用できてますので、
    「見えている」と思って暮らしてもいいんじゃないかと思います。

    仏教用語としての「悟る」については
    僕の解釈でしかありませんので、
    一応載せますが、
    お坊さんと問答して
    ご確認ください。

    (また、このサイトは
    基本的に宗教的な考えに基づいて
    理論を構築はしていません。
    そのため、
    どの宗教さんに対しても
    中立であることを
    目指しています。)




    <追記2>2019.09.20
    「気づいて悟る」という言葉から考えるに


    「気づいて悟る」という
    言葉の用例があり、

    実際に僕たちは使っています。


    ですから、

    一般的な用語としては、

    「気づく」と「悟る」は

    別の言葉で表される
    別の行動として
    認識されている

    と考えるのが

    正しいだろう

    と思います。

    (上記について、
    明らかに文字として
    書いていませんので、
    追記として書かせていただきます。)


    そうそう。

    特別な用例、用法の言葉について
    説明もせずに、
    一般的な用語を用いて説明することで
    意味を
    ごちゃごちゃにするような
    誤解を招くような説明をし、
    内容のレベルを下げるような説明されても
    困るんですよねぇ。
    重要な脳活動についての説明が足りなかったようですし。

    (とあるトークを聞いたのですが、
    一般的な意味の「悟る」について考えさせないようにしたかったのかと
    疑いたくなります。
    正しいことを自分で考えて、おのずから理解するという
    「悟る」のフェイズができなくて
    盲点になっていたりしてたんですかねぇ?
    大丈夫ですかね?
    ちょっと心配になったりしました。)




    <追記3>2019.09.20
    じゃあ、「丸暗記」って~のは、どうなのよ???


    はい、よく僕は丸暗記の害について
    このサイトでも述べています。

    「丸暗記」は、

    「自分の頭で解釈、価値づけすることなく記憶すること」ですから、

    「悟る」という行為なく、

    外界にある情報の存在を認知しただけで
    頭で記憶する作業である

    と言えると
    思います。



    人の頭脳を用いた行動として、
    あまり良くないのではないか

    と思います。

    ですから、

    できる限り、丸暗記を減らすようにしましょう

    と提言させていただきたい

    と思います。





    <追記4>2019.09.20
    言葉で書かれている内容の
    実質の内容がわからないと、どうなるか


    僕のサイトでは、

    よく、
    僕の考え、

    つまり、僕が正しいと信じる考えについて

    述べているのです。


    そのため、

    「○○」だろうと思う

    という書き方をします。

    これは、
    「○○だ」という部分の実質の内容がわからない場合、

    「だろうと思う」

    という程度の
    「断定度合い」と「強調度合い」では

    「重要事項とは認識できない」可能性があるだろう

    と思っています。

    僕は、自分の考えを押し付けたくないので、
    みなさんに、
    「○○だ」の部分が正しいか、妥当かどうかを
    考えていただきたくて、
    このような書き方をしています。

    しかし、
    実質の考えがわからない人は
    「○○だ」と言うのに伴って
    付随される「声のトーン、大きさ、断定度合い」などで
    「正しいか、重要か」を判断しがちのもようですから、

    あおられる

    という結果になるでしょう。

    これでは、
    簡単に騙されることにつながるんじゃないか
    と思います。

    きちんと実質の内容がわかるようになるように
    なったほうが良いのではないか

    と思うんですよ。



    <追記5>2019.09.20
    話し手の立場も判断材料のもよう


    お坊さんとか先生とか

    教える立場だったりする人の言うことは

    結構
    みなさん
    素直に脳みそを開いてしまって、

    素直に言うことを
    全部受け入れてしまう

    ような気がするんですよ。


    先生も人間ですから、
    間違えますからねぇ。

    正しいか妥当か考えるように、
    お気を付けください。


    逆に、
    そういう立場の人に騙されやすい人は

    騙すときにそういう立場を有利なものとして

    利用するかもしれませんね。

    プロフィール

    高久 真生(たかく まさお)

    Author:高久 真生(たかく まさお)

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    カテゴリー分けの由来
    「おこさま、いらっしゃ~い」 2020.10.18更新
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