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723. なぜ、自分が「招かれざる人」だと認識できないのか

  • カテゴリ:犯罪者対応 (観察あるある)
  • 義務教育の学校って
    「誰でも」通える

    んですよ。
    (というか、「全員通ってね」という前提なんですよね。)

    また、
    戸籍がありさえすれば、
    行政サービスなどは
    「誰でも」利用できる

    んですよね。



    それに対して、
    スーパーマーケットは
    食材や日用品を扱っています
    から、

    「誰でも」用事のある場所
    なんですよ。

    なんで、
    どんな悪い人も来ます。

    しかし、
    スーパーマーケットは
    私有のお店で
    私有地で営業していますから、

    この人は来て欲しくない
    という人には

    お断りができるはず
    なんですよね。

    スーパーマーケットなどの商業施設って
    「誰でも来て許される居場所じゃない」

    んですよねぇ。
    (断られるほどの迷惑行為があった場合、
    確実に断れますからねぇ。)


    有志の団体においても、
    「誰でも」ではなく、
    「いて欲しい人、いてもらって無害な人」でないと

    「いなくなってね」
    とするしかないし、
    そのようにできる


    んですよね。
    (団体の運営者が悪い人の場合、
    「良い人」が
    「いなくなってね」と言われるようです
    が。)



    普通、
    「自分が嫌がられている」という事実を感じ取れば、
    嫌な気持ちを相手の心の中に発生させないように
    自ら去る


    んですよね。

    ただ、
    「いることを望まれたことがない」
    (あれば、
    「望まれている状態」と「そうでない状態」とを
    比較できるので、
    望まれない状態を
    居心地悪く感じるはずです。)

    「いなくなって欲しい」というメッセージに気がつかないのか、
    他の人の「いなくなって欲しい」という気持ちを理解できない、
    相手の「いなくなって欲しい」と感じる気持ちを、自分の心で感じられないのか、
    自分の存在を否定されると感じて意固地になっているのか
    いないと、家族などに生命をおどされる(食事抜きなど)ことになるのか

    わからないのですが、

    「いなくなれ」というメッセージを受け入れられない人がいるよう

    なんですよ。


    「○○したいから、いる」とか
    「○○やっているから、いいだろう」とか
    いるための目的の行動の正当性を訴えたりするよう

    なんですが、

    それ以前に
    その行動の主体が誰か、どんな人か
    の方が大事

    で、

    「いなくなれ」というメッセージを無視して
    平気で
    執拗に
    「つきまとい行為」をする


    ようなんですよ。
    (断られたら、無条件に受け入れないといけない
    んですが。)

    たとえ、
    「将来の職のために、訓練中だから、自分を育ててくれ。
    育つチャンスをくれ」
    と言って居座ろうとしても、
    (結局、自分が利用するための言葉で、
    他の人のことを思いやっていませんよねぇ。
    さらに言うと、
    チャンスを与えて良い人間かすら、疑問符が付く人間だから、
    問題になるんです。)

    どんな理由があれ、
    いて欲しくない人には
    いて欲しくない

    んですよねぇ。
    (僕の見た例では、
    「保父さんになりたくて訓練中だ」そうですが、
    子供の抱き方が悪いです。
    見るからに、能力的に向いてないんですよねぇ。
    依存心を作るような抱き方ですから、
    親御さんも断るべきです。)



    いつまでも
    いなくならない人の例として、

    「なんで俺がダメなんだ」と思っていたりするよう
    なんですよ。

    もう既に
    「俺だから」ダメ

    なんですよ。

    「他の人に迷惑をかけない」という信用がない
    んですよ。
    自分が善良な人間で、他人に迷惑をかけない人間である
    という
    アピールタイムは終わっています。


    それが世間一般の対応
    です。
    (スーパーマーケットで「売らない」といわれているのに、
    「買わなきゃ、いて良いんだろう」と思っているのか、
    出入りする人がいるんですよ。
    「知能が低くてわからない」とか
    言い訳にされても困るんですよねぇ。)



    ちなみに、
    知的障害のある人も
    「良い人と悪い人がいそう」に
    見えますから、
    一応注意した方が良い
    んですよ。



    <追記>2019.08.24
    「相手の嫌がっている気持ち」自体が
    わからない人がいるらしい


    犯罪行為をした人がいた
    としましょう。

    大概の人は、
    犯罪は隠すモノであり、隠したいモノである
    と思っている
    と思うのですが、

    自分のやっていることが悪いことではない
    と思っていたり、
    自分の犯罪行為を見聞きした人の嫌がる気持ちを理解できない、
    感じられない場合、

    包み隠さず、しゃべる人がいるよう

    なんですよ。

    で、
    周囲の人の
    顔色が変わったり、
    態度が変わったりしても、

    「なんでだろう?」と思うだけで、

    「何か自分の周りが妙なことになった」ぐらいの認識しか持てない
    人がいるよう
    なんです。

    つまり、

    「自分の行動が嫌がられるモノである」と
    わからないので、
    「何が嫌がられているのか」や、
    「どうして嫌がられているのか」が
    わからず、
    「周囲の人の反応」と
    「自分のやったこと、しゃべったこと」が
    結びつかないよう


    なんです。


    相手の嫌がる気持ちを察して、
    その気持ちを自分でも想像して感じられて、
    相手に同情があるから、
    迷惑をかけたら気分が悪い

    んです。

    「同じ目にあったら、嫌でしょ?」という理屈が通じて、
    嫌がられる行動が改められる
    ことになる
    と思うんです。



    実際に自分がされたら嫌なはずの行動でも、

    「相手に同じ事をしていい、許されている。
    相手は何とも思っていない
    (はず。
    この「ハズ」という言葉もない認識である場合があると思うんですよ)
    と思っていると

    (実際されないとわからない、心や脳の能力の人かもしれませんが。)

    行動は永遠に改まらない
    んでしょうね。

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    高久 真生(たかく まさお)

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