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721. 自分で自分の周囲の環境を観察する力がないと

  • カテゴリ:丸暗記と考える力
  • 前の記事「720. とある、たまに見かける人間模様」で
    書いた人物像の人がいるもよう
    なのですが、

    「言語化されていない現実を、
    自分の力で、正しく把握し解釈する」
    のが
    苦手な人がいる
    と思うんです。

    「苦手」ということは、
    「他の人と比べて苦手」だと
    日常生活に問題が生じる程度の人も
    いる可能性があるよう

    なんですよ。



    誰しも、「自分にわからない現実」というモノがあるので、
    程度問題としては
    脳の能力の問題や勉強の程度などが影響する
    のではないか
    と思うのです

    が、

    あまりに苦手だと、

    「言葉で表現されている現実」を
    「言葉で表現されているようにしか把握できない」

    ということが起こったり、

    自分で
    人に関することも含んだ、
    身の回りの環境現実を理解して、
    言葉にすることができない

    ために、

    他の人に言語化してもらわないと
    わからない

    ということが起きたりするんだと思います。


    当然、ツイッターなどの投稿する内容は、
    投稿する人の理解や考えに基づく
    自由作文
    ですから、

    投稿する人の理解や考えが
    如実に出やすい

    だろうと思います。



    しかし、
    僕は、
    さらに、重大な問題が潜んでいるように思う
    んです。

    言語化してもらっても、
    言語化されるべき現実が何者か
    自分の頭で感じたりして、把握できていない

    ので、
    「現実のうちの何が、言葉と対応しているのか」の
    結びつけができない


    ので、

    結局、
    実感を持った
    現実に基づいた理解が
    出来ていないことになりそう

    なんです。

    因果関係を含む現実の性質、仕組みや
    人の気持ち、都合の存在と多様さ
    などの
    理解が不十分になってしまいがち
    で、
    (人の心や科学的な法則に原因を求めず、
    「魔法がある」とか、「神通力がある」とか思っちゃう
    原因になりそう
    ですよね。)

    「経験値の積まれ方」や「考えた経験による身につく量」が
    他の人より少ない、

    または、
    積み上がっていかない
    事態が起こるのではないか


    と思うんです。



    対策としては、
    「幼稚園などの成長段階における
    身の回りの世界や人の心に関する理解」
    を学習する
    ぐらいのテーマから

    きちんと実感を持って
    世界を把握し、人の心を感じ、理解する

    訓練を大事にするべきではないか

    と思うんです。
    (本当に「魔法」があるのか、ないのかも
    中学生ぐらいまでには
    身にしみて
    きちんとわかるようになってもらいたいです。
    答えは「魔法はない」んですよ。)

    おそらく、幼稚園ぐらいを
    ボーッとして過ごしてしまったり、
    何も試行錯誤しなかったり、
    何も見えていなかったりすると、

    言語化、抽象化についての学習の比重が大きくなる
    小学1年生からの学習についていけなくなるのではないか

    と思うのです。

    ゆっくり発達するお子さんの場合は、
    小学校に上がってからも
    随時幼稚園で学ぶことになっている心や世界理解の課題についても
    復習するとよいと思います。

    僕は、特に、
    文部科学省が想定していたり、推奨するスピードで
    成長しなければならない
    とは思っていませんので、
    (一応、授業の都合なだけですから。)

    学校のスピードを一応のペースメーカーとして利用をしつつ、

    学び残しがないように

    足腰の強い成長をすることを
    強くお薦めしたい

    と思います。

    砂山を作る時でも、大きくする時は一旦叩いたりして強くしますよね。
    そのときは、高さは伸びないと思いますが、
    必要なステップだ
    と思います。

    深い理解が重要

    ですので、

    適宜、復習したりして
    考え直して、
    深い理解に変える事が
    重要


    だと思います。
    (受験勉強のように、
    言葉だけを操って丸暗記に近い努力をして、
    与えられた問題のうちオーソドックスな問題だけ解けるようになるだけでも
    合格点が得られる
    陶太の世界では、
    現実の世界できちんと自律的な判断を下しながら、暮らせるかはわからない
    んですよね。)




    <追記>2019.08.21
    結局、
    言葉で教えてもらっても、
    言葉の表す対象に関するイメージの像が
    きちんと脳内で結べているか
    不明


    <本文>で

    言語化してもらっても、
    言語化されるべき現実が何者か
    自分の頭で感じたりして、把握できていない

    ので、
    「現実のうちの何が、言葉と対応しているのか」の
    結びつけができない


    ので、

    結局、
    実感を持った
    現実に基づいた理解が
    出来ていないことになりそう


    と書いたのですが、

    図や音、概念などが、
    脳内で
    イメージとして像を結べているのか、
    つまり、
    理解に至っているか

    が不明なんですよ。

    音楽で言えば、音色まで判別できているのか、
    リンゴなどの絵で言えば、所謂、簡略化された形ではなく、
    写生して自分で描いて正しいと言われるぐらいに
    細部の塩梅が見えているのか

    などが不明

    なんです。


    これらは、
    言葉だけの情報では伝えられない情報なので、
    言葉だけの情報ではわかりません

    から。



    逆に、考察をするのに良さそうな事例があって、

    ヘレンケラーさんの手に水を浴びせて、
    手に「水」と書き続けたサリバン先生は、

    ヘレンケラーさんの感覚神経を刺激しているさまざまな刺激の中から、
    「水を浴びている感覚」を抽出させ、
    その感覚を与えるモノ(つまり、水)と
    「水」という言葉を結びつけた

    じゃないですか。

    この逸話の中で、

    現実世界に存在する、
    ある感覚の刺激を与えるモノ(つまり、水)

    を観測して得られる「(脳内に存在する、生じている)実感」が
    なければ、

    言葉だけあっても、
    概念や実態と結びつかなければ、
    言葉の存在自体だけでは
    何も意味をなさないようだ

    ということが

    わかるんですよね。

    言葉だけ学習しても、
    現物が何かわからなければ、
    意味ない

    んですよ。

    観察力がない人、
    つまり、
    自分で自分の周りの環境を理解できない、
    理解するための材料を得られない人は
    「何が言葉と結びつくのか」の
    「何」が「何者か」わからない
    事態が発生するような
    んですよねぇ。



    確かに、
    言葉によって、
    他の人に気づきを与えることができる

    (他の人の脳内に気づきを生じさせることができる)
    ので、

    教育に便利なのですが、
    (教科書は気づきの提案の連続です。)

    僕たちの現在の学習は
    言葉だけの学習に偏重しすぎ
    のよう


    なんですよね。

    脳内の実感は
    他人が直接操作することができませんので、
    言葉を使ったり、作品を作ったりして、
    「脳内の情報の変化を促す」ことしかできない

    んですよ。

    言葉だけインプットするのは速いのですが、
    わからない概念で頭の中が一杯になっちゃうだけ
    なんですよね。

    実感をもった、深い理解には時間がかかる
    と思います。

    理解できるスピードより速く、
    急いで学習する人に起きることでもある
    んですよ。





    <追記2>2019.08.21
    「言葉が読めるから」といって、
    内容の意味がわかるかどうかは
    必ず保証されない


    上記の考察のように、

    言葉だけでは存在する意味がなく、

    言葉の表現している内容や概念が
    わからないと、

    文字が読めても
    言葉群の表す内容が
    意味不明に感じる

    という事態が発生するらしい


    んですよね。



    言葉の表現が悪いから伝わらないのは、
    伝える人に責任のある話ですから、
    (きちんとわかっていないから、説明不足のようになるのか、
    言葉を用いて説明する技量が足りないのか
    という問題でしょう。)

    僕も、
    言葉という媒体を用いて
    誤解をされないように工夫をしているつもりです
    ので、

    平易な表現が多いかもしれませんが、

    内容がわかるかどうかは
    受け手の人による話であろう

    と思います。

    (「うんこドリル」みたいな、
    内容がおかしいのはわからないのが普通で一般的でしょう
    けれどもね。)

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