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637. 頑張れば必ず報われるか

  • カテゴリ:仕事
  • 「頑張れば、必ず報われるか」というのは
    よく言われる議論かもしれませんが、

    基本的には
    結果しか商品になりませんから、
    「頑張ったで賞」は子供のうちが多く、
    しかも、先生を含む身内しかくれない

    と思うんですよねぇ。
    (時間給の場合、社長さんもくれるかもしれません。皆勤賞とかも含んでですが。)

    他人さんから、
    「頑張ったで賞」が来ることはあまりなく
    (イベントなどの参加賞はあるでしょうけれど)
    対価を頂く系の仕事の場合は
    「良くやった」しか評価されません
    ので、
    (へたくそなライブを見て、「頑張ったで賞」はあげないし、「料金返せ」と言いますよねぇ。)
    「頑張り」=「成果」と直結することはない以上、
    「頑張ったから」と言って必ずしも報われることはないんですよねぇ。
    (自然な人の気持ちだと思いますよ。)

    「出来高勝負」の世界に
    「「頑張ったで賞」に価値を見いだして、俺を良く評価しろ」と言うのも
    意味ないですし。
    評価外のアピールをされても困りますよねぇ。

    お勤めをしている場合は、
    身内である社長さんが頑張りを認めて、
    「頑張ったで賞」をくれるかもしれませんので、
    そういう保護のある状態でお仕事するほうが安全な人は
    そういう条件が良いと思いますし。
    (「出来高勝負」のみは厳しいですので。)

    大学受験は「個人の性格」は判断されず、
    学校、参考書、塾、家庭教師、個別指導などの環境が非常に整っているので、
    「努力の仕方を見いだしやすいし、
    指導してくれる人も多いし、
    点の取り方も結構マニュアル化されている」
    でしょうから、
    技術を身につけるとして、
    他の技能の道よりもかなり平坦な道になっているんじゃないかと思いますので、
    比較的個人の努力が結果に結びつきやすいと思います。
    ただ、丸暗記では高校生の時間を無駄にしてしまうでしょうから、
    ちゃんと考える訓練の時間にして欲しい
    です。
    そういう高校時代の勉強の機会の利用をして欲しいんですよね。)

    ですから、大学受験って、
    初めて長期間の訓練プロジェクトをする高校生にとっては
    「自分の目的で立てたプロジェクトを完遂させる」という訓練に
    向いていると思うんですよねぇ。

    一応結論の決着の付いている問題でないと、
    間違えでも耳障りが良かったり、見た目の良い回答に点が付いてしまう可能性があるので、
    答えの見つかっている問題が出題されているのかもしれないと思っていますが、
    要するに、大学受験の入試問題を解くって、
    出題する先生のお庭で競争している模擬訓練でしかないんですよね。
    本当の解かれるべき問題、挑戦の本番の問題は
    森羅万象自然の中にあるというか、
    社会の中にあるというか、
    僕たちの間にあるというか。


    たとえ、大学受験ができても、
    まだまだ、一人前の大人じゃないというのはそういうことだと思うんですよね。
    一応、大学受験は中学教育から続く研究の初段階の訓練でもありますので、解答の質に天井はありませんが。
    (「247. 東大だからってねぇ」と「265. 東大だからってねぇ その2」参照ください。)
    「わかって入っている人」と
    「わからずに入って、自分をおだて上げて、ただ浮かれている人」とでは
    差が付いてしまうでしょうねぇ。
    (大学って、研究者の養成機関でもあるんですよ。
    大学受験ぐらいだと才能勝負と言えるほど絞り込まれていないでしょうから。)

    さて、自分の仕事の価値って、
    誰がわかっているべきでしょうか?
    誰も知らない初のことだったりしたら、
    どうしたらいいんでしょうねぇ?
    どうやって守りましょう?

    (一応僕なりの答えはありますが、質問にしておきます。)



    <追記>2019.04.23
    他に
    正当に評価されないときって
    あるかしら?


    いやぁ、
    評価する人によります
    よね。

    ひどいときの例になりますけれど、
    結果、
    評価される側が
    犯罪に巻き込まれているときって
    間違いなく
    正当に評価されないですよねぇ。

    どーしましょ???
    (一応僕なりの答えはありますが、質問にしておきます。
    みなさんも独自に考えてください。)



    <追記2>2019.04.23
    「才能」があると思って、
    それで実際どうしたのか
    の方が大事では?


    「自分はこっちに向いている(んじゃないか)」という気がするのは、
    「自分にこっち方面の才能がある(んじゃないか)」という気持ちと似ているかもしれず、
    自分自身がどういう人かがわかるというのは
    自分の誇りにつながって大事だと思います。

    あくまで、「(んじゃないか)付き」で
    心の中で思うに違いないことを書いていますが、
    「結局、実際にできないと能力があるとは言われない」
    ですので、
    自分の体を使って、自分の能力を実現して、
    初めて「ああ、能力があったんだ」とわかるだけだ
    と思うんですよねぇ。
    まだ能力が体の中で眠っている段階で
    「才能」と呼ばれるものがあっても、
    「本当にあるの?」と言われるだけで
    「自分の外側にはなんにもない」状態ですので、
    実現してから、「良かったな」と自分で思えば良いだけだと思います。

    自分に才能があると思い込んで、
    「うはうは」しているよりも、
    実際に体を使って実行しているほうが楽しいと思いますので、
    実際に楽しめている時間の方が大事だ
    と思うんですよねぇ。

    偏差値の高い大学に入って、
    自分たちで自分たちのことを
    「すげー良くできるぜ、俺たち」と言っている程、
    人数的に絞られていないんじゃないか

    と思うんですよ。

    入っただけでは、
    社会の一員として何の寄与もしてないですし。
    入学祝いで生涯年収をくれる人もいませんので、
    実際に何かできる能力、実行力が付いてもいないのに、
    そこまで自分たちのことを褒める必要もないんじゃないか
    と思うんですよねぇ。

    「才能」があると言い張ってドヤ顔しているだけより、
    努力して、
    実際に自分のやりたいことをやって暮らせる

    幸せのほうが大きい
    と思いますので、
    そっちのほうが不当に高い自己愛よりも大事だと思いますよ。
    実利を取りたいですよね。

    「才能がある」とかどうだかとか気にするより、
    実際にできるかどうかの方が大事だ

    と思います。
    やってみて、できたことについては
    「才能がある」と言えるかもしれないですし、
    実際に「才能があるかどうか」を気にしてもしょうがない
    と思いますよ。
    自分として、
    できるようになるように、
    実行あるのみ

    です。
    その努力が好きでない人は、
    学校に入っただけのことを「人生において達成した業績」にしちゃいたいのですかねぇ。

    特別な人であるだけよりも
    実際に自分の頑張りたいことで頑張ったりして、
    自分の生活や人生、時間を楽しめている方がいい
    じゃないですか。

    そちらのほうが、
    実感として幸せを感じる量は多いだろう
    と思います。

    プロフィール

    高久 真生(たかく まさお)

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