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600. 「丸暗記」が生まれるとき

  • カテゴリ:丸暗記と考える力
  • 丸暗記ってしちゃいけないの?
    で書いた通り
    僕は、「丸暗記」という行為自体が危ない
    と思っている

    んですよね。

    元々、誰かの名前を覚えるなど、
    ある程度の暗記は必ず必要で、
    できる能力を僕たちは確かに持っています。

    どういうときに、
    「何もかもわからず、ただ丸暗記しようとする」
    んでしょうか?


    「内容、理屈がわからないとき」
    だと思います。

    「内容や理屈がわからない」というのに
    いくつかの場合があると思います。

    書かれている言葉群に
    理屈が存在していない場合


    どうしても頭に入れたければ、
    丸暗記するしかないかな?
    とも思います。
    (しかし、この場合でも、
    言葉群が妥当かどうか、正しいかの検証が
    本来必要
    です。
    「○○さんが言ったから~」というのはあまりよろしくなく、
    できれば、他者と独立した自分の頭で検証してください。


    嘘情報の場合
    は、
    妥当性も何もないですから
    丸暗記するしかない
    でしょう。

    その他の「わからない」の場合、
    例えば、
    言葉がわからない。
    現実を知らないために、言葉の表す現実がわからない。
    文章の論理が追えない。
    数式が未学習のため、数式の表す関係がわからない。
    など
    という
    一般的な「理解する」という行為に関係する
    所謂「頭でわからない」場合

    と思いますが、
    もう一つ、重要な原因があると思うんです。

    それは、
    感情を伴う価値観がわからないために、
    感情に基づく文や理屈、感情そのものが
    心でわからない場合

    というのがあると思います。

    「大人になって小説を読み返したら、
    子どものときに気がつかなかった感情、事情に気がついた」や
    「親御さんの年になったら親御さんの気持ちに気がついた」などがあるように、(*修正箇所です。)
    経験を積むことで理解できるようになる感情もある
    と思います。

    それ以外の場合がもう一つあるようなんです。

    心で判断する場面はたくさんある
    と思います。
    (「良い悪い、気持ち良い気持ち悪いの判断」や「様々な物の利用法」など)
    が、
    どうも心の判断が自分と食い違ってしまう場合があって、
    全く共感できない場合がある

    ような気がするんです。
    (様々な感想を持つのは自由で、大事なことなのですが、
    その内容のために対人関係に支障が出てきてしまうこともあるようです。)
    その自分の意に沿わない内容を覚える場合、
    理解や納得を伴うことができない

    と思います。
    丸暗記するどころか、
    そもそも頭に入らないかも

    しれません。
    (ちなみに、「うんこドリル」って書いてある内容が僕の頭には入らないんですよ。
    感情を伴って内容に賛成はできないし、覚えていないという意味ですが。)

    こういう場合、
    お互いの意思の疎通ができないことになってしまいますし、
    自分一人で書いてあることの理屈が追えない

    ことになってしまうんじゃないかと思います。

    「うんこドリル」は書いてある内容と意見が食い違っていて問題ないと思いますが、
    対人関係に支障が出てきてしまう場合について書いてみたいと思います。

    たとえば、
    「草原でお尻だけ紫色のシマウマさんを見た。」
    という文を読んだり、聞いたりした場合、
    「誰かがいたずらをしてペンキでもかけてしまったのか、
    病気なのか」
    とトラブルを想像するかもしれません。
    「大丈夫かな?」と心配してしまうんじゃないかと思います。
    (ここで、「と思います」というのは本来このサイトでは使わない用例で、
    「決めつけ」になります。
    なぜなら、自分以外の人の気持ちを書いているからです。)

    実は、この例を見て、
    「そうだ。自分もそう思う」と思う人もいれば、
    「え?きれいじゃね?」と思う人もいれば、
    「こいつ病気だ、ざまーみろ。俺、病気じゃない」と思う人がいたりする
    と思うんですよ。

    下2つの感想を持つ人に、
    「しまうまさんのことを気の毒に思わないのか?」
    と思ったりしますが、
    そういう感情が沸き起らない人もいるかもしれません。

    たとえ話ですので、下2つの意見の人がどういう人物像がありうるか考えてみると、
    「え?きれいじゃね?」と思う人は健康なこと自体が嫌いかもしれませんし、
    病気であることに気がついていないだけかもしれません。
    「こいつ病気だ、ざまーみろ。俺、病気じゃない」と思う人は
    「他の生物が病気で自分が健康だ」という事実に対して、
    「同情する気持ち」よりも「損得勘定的に嬉しいと感じている気持ち」の方が大きいような気もします。
    気がついていない場合以外、
    その人が好むように自由に動くと、他の人に迷惑がかかってしまうかもしれない畏れがあります。
    (だからって、すぐに「逮捕!」とかは言わないですよ。)

    指摘されて、考えが足りなかったと修正できる人と、
    できない人がいるような気がしますし、
    とりあえずパターン学習をして、その場合の模範解答を修正できても、
    別の場合ではやっぱり同じような考えをしてしまう人がいるかももしれません。

    また、
    598.  「頭良い」ことより大事なこと」で指摘したように、
    「心で感じる感情に基づく価値観よりも、
    損得勘定は目で見て物事がわかりやすい」
    かもしれないんですよね。

    「相手(他の人)のことが大事」だったり、
    「一緒にいることが楽しい」だったり、
    「一緒にいることで団らんする」というような
    感情が乏しい人の場合、
    「心で感じる感情に基づく価値観」を他の人と共有できずに、
    他の人との感情共有ができない

    し、
    「心で感じる感情に基づく価値観」で話している人の話が
    わからないし、
    価値を感じなかったり、価値を見いだせない

    ということが起きてしまうかもしれません。

    上で書いた通り、
    お互いの意思の疎通ができないことになってしまいますし、
    自分一人で書いてあることの理屈が追えない
    ことになってしまって、孤立してしまう畏れ

    があって、
    非常に困るんじゃないか
    と思います。
    (対人関係に支障がない分には何にも問題なさそうなのですが。)

    なので、とにかく
    ちゃんと相手の考えている、感じていることを聞いてみないと、
    本当はどういう人かわからない

    と考えるのが
    どんな相手でも知ろうとする一歩ではないか

    と思う
    んです。

    誰の感情に対しても
    ちゃんと興味を持って聞くことが大事

    だと思います。
    例えば、自由作文で自由に表現させてあげたり、
    (質問に対する答えでも良いです。)
    自分の子だからって「こうなはず」という思い込みのない質問をすることで
    より知ることができるはずなんです。
    (他の人はなおのことです。)

    たまたま
    「心で感じる感情に基づく価値観」を他の人と共有できる親御さんに(*修正箇所です。)
    「心で感じる感情に基づく価値観」を他の人と共有できないお子さんがいた場合に、
    (親御さんに非がある訳じゃない場合もあるようなんです。)
    子どもさんが親御さんのしつけや教えを実感を持って感じられているかどうか
    怪しくなるかもしれません。

    心が0の人はいないと思いますが、
    (心失者はいないです。)
    心の働きが活発な人にとって
    少し不活発の人のことを想像しにくい現実がある

    と思います。

    「相手の心の中でこういう気持ちを感じているんじゃないか」と
    自分が想像している感情が
    相手の心の中で発生していない場合があっても、
    発生している側の人はその気持ちがないこと自体を想像できないかも

    しれません。
    想像できない場合、
    そういう感情が発生しているだろうという想像をして
    補完してしまう可能性があります。

    「こういうときはこう感じるのが普通だよね」と
    自分の感情を相手に投影してしまうミラーリングが良くない方向性に働いている
    ということになってしまいます。
    相手のために良かれと思ってでも、
    勝手に相手の気持ちを決めつけることはしてはいけません

    ので、
    よくよくインタビューする必要がある
    と思います。

    結局、
    丸暗記をしない場合
    または、
    丸暗記をしないで済む場合
    というのを
    みなさん自身の場合で考えてみると、
    おそらくわかるのではないかと思うのですが、
    自分の頭で理屈が追える場合

    自分の気持ちが腹の底から納得することで
    自然と書いてある内容が身につく場合

    には
    「何もかもわからず、ただ丸暗記する」ということは起こっていない
    と思うんです。




    <修正&追記>2019.01.21
    「「」にして、「できる」の「る」を付けました。


    「「」が「」」でした。

    と、
    「「「心で感じる感情に基づく価値観」を他の人と共有できる親御さんに(*修正箇所です。)
    「心で感じる感情に基づく価値観」を他の人と共有できないお子さんがいた場合に、」
    と、親御さんの方の表記を
    「共有できる」にしました。
    (「る」がないと、どっちかわからないですよね。)

    この場合、
    特に「他者を大事にしたい」という
    意志のあるほうの親御さんのこと

    です。
    反対に、
    親御さんがそういう方面を無理解だったとしても、
    子どもさんに「他者と真の意味で仲良くする気持ちがある」場合もある

    と思います。

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