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524. 飛び級は必要か???

  • カテゴリ:教育(小学生の保護者向け)
  • いわゆる、子供の英才教育というお話になると
    必ず出てくるのが
    「飛び級」
    という言葉だと思うんですよね。

    子供の成長に合わせて、
    咀嚼、吸収して自分の血肉に出来る量で
    学習やお稽古事をするのは
    とても良いと思うんです。

    その子に合わせたハードルの高さでいいと思うんですよね。
    僕は、
    挑戦しがいのある毎日を送ることが
    とてもとても大事

    だと思っています。

    しかし、
    この学習量、目標量が
    時間あたりで多すぎた場合、

    (ペースが速い場合)
    きちんと咀嚼できませんので、
    「言われた話のあらすじのまま頭に放り込む」という
    丸暗記に近い学習になってしまう

    と思うんですよね。

    「理解し、身につける」ために
    必要な時間はかかります
    から、
    細いやぐらの思考でごまかすよりは
    しっかり考えて土台のしっかりした考えや思考、勉強を
    した方が良いと思います。

    また、学習というのは、
    そもそも、
    僕たちの世界、この世の森羅万象を勉強する
    (僕たちや生き物の心もです)
    のですから、
    教科書や本のあらすじを追うだけでは全く足りません。
    実際に、体験してみる、見てみる、感じてみるなどの
    実地学習が大事

    かと思います。
    本に書いてあることが本当かわからないようでは、困ります
    し、
    この世の現実と教科書のあらすじのどっちが豊かかと言う問題
    でもあります。

    スピードを速めて、
    オーバースピードになってしまえば
    咀嚼などが足りないことになりますので、
    それだけ、教科書を書いた人の言う「あらすじ」通りにしか
    考えられなくなってしまいかねません。

    人の言った通りの方向からしか考えられない危険性が出てくるということです。)
    これはどの学習段階、能力の人に対しても起こる
    ことだと思います。

    飛び級などができるぐらいの
    容量の大きめのお子さんに対しても、
    飛び級して
    とりあえず目の前に提示される教科書などの学習内容のあらすじを
    急いで追うだけ
    となってしまうのであれば、
    もったいないですので、
    無理矢理急ぐ必要はない
    と思います。

    自分のペースよりゆっくり進んで、
    時間が余っているようであれば、
    あれやこれやと自分で考察を重ね、
    あっち向きに考えたり、こっち向きに考えたり、
    学習内容を心でしっかりと感じる時間とすれば
    より深い学習が出来て、
    それだけ足腰のしっかりした学習になる

    と思うんですよね。

    「丸暗記して学習できたことにする」
    というのは
    「とりあえずできた、わかったことにするチート技
    (ごまかし技)
    だと思うんですよね。
    (覚える必要があるという根拠が薄弱でしょうから、
    何かのきっかけでその自信がゆらぐと、
    全部忘れかねませんし。)

    「誰かの準備した文言をそらんじられる」
    ことを第一目的とするような学習では
    そのことに費やす時間を
    実際の経験に費やした方が
    よろしいのではないかと思います。
    (対人関係の経験や実体験が少ないのはいただけません。)

    「実体験がなかったり、
    心によって感じることのない学習」

    をして、
    「あらすじしか頭にない状態」
    となるぐらいであれば、
    (そればっかりの頭の人もいそうですしねぇ。)
    「ゆっくりでも
    しっかりと心でわかる学習」
    をするほうが、
    子供の時だけでなく、
    大人になってから暮らしたり仕事したりするのに
    不都合が起きにくいのではないか

    と思います。



    <追記>2018.09.08
    じゃあ、教科書での勉強はいらないの?


    僕たちの世界、僕たちの心を含むこの世の勉強をしていて
    実地教育、実感の伴う心で学ぶ教育が大事ではないか
    と本文で書いたのですが、
    「教科書での勉強はいらないのか?」
    ということについて
    書いてみたいと思います。

    教科書には、
    正確には、
    「この世の見方の一つ」が書いてある

    と思うんですよね。
    (基本的にはみんなが正しいと思っている内容ですし、
    誤りを他人に正しいと言って教えることは詐欺です。)

    教科書での勉強は
    「自分にない発想を
    参考にする」
    という感じで、
    「実際を自分の目で見て体験して心で感じる
    ことの補助道具」である

    んじゃないかと思うんです。

    全部自分で思いつくのが大変だし、
    自分で考え、思いつくための材料を身につけるためにも
    勉強などのインプットは有用だ

    と思っています。

    「木」で例えると、
    「理論」が「幹」で、
    「周りの葉っぱ」が文字であらすじに書いていない「現実とかフィーリング」じゃないかな
    と思っているんですよね。

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