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500. 自分の責任を他の人に完全に預けたい人

  • カテゴリ:自由と独立
  • 500番になりました。
    特にイベントはなどはなく、淡々と書きたいことを書きます。

    「自分の人生、一人の人生をなぞるだけではつまらない(気がする)」
    ということで、
    映画などの空想の世界や他の人の人生を垣間見たりして楽しむと思うのですが、
    「思考実験」というのも良いのではないかと思うんです。

    「例えば、○○だったら、自分はどう感じるかな?」とか
    「どういうことになるのかな?」と
    たとえ話で自分の気持ちを考えるのって大事だ
    と思うんですよね。

    で、本日のお題は
    「自分の責任を他の人に完全に預けたい人」
    についてです。

    現在の日本では、
    自分のやったことの結果について、
    良かったとしても、悪かったとしても
    自分の物として、
    自分の人生、ショバ、信用をかけて、
    自分の行動の責任を取る

    ということになっています。

    つまり、
    自分の行動の責任は自分に全てある
    と言う立場です。

    しかし、
    「自分の行動の責任は自分に全てある」ということが「辛い人」
    がいたとしましょう。

    例えば、
    やることなすこと、自分の頭で考えつく事が他の人の迷惑になってしまって、
    みんなからの信用がなくなり、
    僕たちの社会で生きて生きにくくなってしまう人などです。
    (障害のある人の話ではありません。心の善し悪しの問題です。)

    そういう人は、
    責任を取らされると、生きにくくなってしまう人
    なので、
    生き延びるために、
    誰かに
    自分の行動の責任、自己の存在の責任を預け、
    考えすらも、
    他の人の命令されたことをする
    (それで、24時間埋める)ことで
    他の人に預けたい
    かもしれません。


    僕たちの社会の中で
    「自分の行動の責任は自分に全てある」ということが「辛い人」の
    行動、存在の「監督責任を取る人」
    がいれば、
    (現在の日本の法律ではありません。)
    必ず責任の所在が社会に存在することになり、
    一見、
    社会にとっても、
    「自己の行動、思想に不安のある人」にとっても、
    安泰なようですが、
    「監督責任を取る人」と「自己の行動、思想に不安のある人」の関係が
    必ずしも健全であるとは限りません

    し、
    「自己の行動、思想に不安のある人」の行動の全てを
    「監督責任を取る人」が監督することは不可能

    でしょうから、
    現実的に実行、実現が無理で不可能な話だ
    と思います。

    やっぱり、
    自分の行動、存在の責任を自分で取り、
    個人として、身の安全を一人一人の単位で保証される方が
    僕たち一人一人にとって、より安全な気がします。


    ちなみに、
    戦前の人々のやったように、
    「全ての自分の思想、行動」を天皇さんに預けたとしても、
    上記の議論と同様に、
    間違いなく天皇さん一人では国民全員を監督できる物ではありませんから、
    (個人同士で預けても無理ですからねぇ。)
    「ただの逃げ口上」なだけということになると思います。

    「自分のやったことの結果について、
    良かったとしても、悪かったとしても
    自分の物として、
    自分の人生、ショバ、信用をかけて、
    自分の行動の責任を取る」

    というところの、
    「自分の物として」ということがとても大事
    で、
    「自分のやったことの結果」も「個人所有の財産」
    ですから、
    「俺の物は俺の物」、「あたしの物はあたしの物」というほうが、
    僕たちにとって実感が強くて自然な感情
    ですよねぇ。)
    よっぽど、
    「自己の行動、思想に不安のある人」で、
    「自分の行動によって、自分の生きることが危うくなる人」
    じゃないと、
    「責任、いらないよ~」と望みたくたい

    と思うんですがねぇ。

    とりあえず、
    天皇家の人々は良い人たちのようなんで、
    「悪いことなんか、されね~よ~(されにね~はず)」と
    つけ込みたいのかもしれませんが、
    天皇さんは当然生きている人ですけれど、
    基本的に生きている人に全部預けるのは恐いこと
    ですよね。
    生きている人は本来的に何でも出来ますから。
    出来ても、「やるか、やらないか」が個人の行動の選択のあらわれるところで、
    人としての能力として出来たとしても、やりたくなければやらないですよね。
    それが、犯罪者とそうでない人の区別だと思うんですよねぇ。)

    やっぱり、
    自分の生命の安全、人生、信用、ショバなどを
    まずは自分の完全監督下で守れるようにした方が、
    一人一人の安全度は高まるんじゃないか

    と思うんですよねぇ。
    その上での共同体だと思います。)
    その出来る限りの有利な状況で生きられるのが「成人」です。
    (保護者がいればいいと思うかもしれませんが、
    それは「保護者」の立場の人間が善良な場合のみです。)

    ちなみに、
    子供時代は猶予期間ですから、
    その間に精一杯成長する方が良いし、生存に有利だ

    と思います。

    ちなみに、
    「自分の思想、行動を含む自分の存在の責任を誰かにとってもらう」という立場は、
    「誰かに隷属する人間」

    (つまり、「自由市民」に隷属する「人身売買のされない奴隷」ということですかね?)
    ということになりますので、
    おそらく、とにもかくにも人身売買はされない条件には出来るにせよ、
    全く、誇りのない事態になってしまうと思います。
    (僕、「俺の物は俺の物~」、「俺は俺~」としか思えないんですよねぇ。)

    という「僕の思考実験の結果」となりそうなんですよ。


    <追記>2018.08.01
    映画について引用をつけます


    「自分の人生、一人の人生をなぞるだけではつまらない(気がする)」
    ということで、
    映画などの空想の世界や他の人の人生を垣間見たりして楽しむと思う

    と書きましたが、

    映画を見る動機の一つであるということで
    「映画を見ると得をする」という
    池波正太郎さんの本に紹介されています。

    「様々な映画の見方、楽しみ方があるよ。
    映画を見ると良いこと一杯あるよ」
    と教えていただいた本です。

    引用を付け忘れていたので、付け加えます。

    また、アニメ「エヴァンゲリオン」の
    サウンドトラック1のライナーノーツにあるように
    「食べてみてまずかったら、そう言っていい」
    ということらしいですし、
    (僕にとって、「すごく気が楽になった」言葉でした。)
    僕も「いい」と思わなかったら、
    そう言っていいと思います。

    様々な見方、鑑賞の引き出しがあっても、
    僕にとって、あくまで個人的な意見としてとさせていただきますが、
    「賛成」ではない作品もありますんで。

    「様々な見方、鑑賞の引き出し」とは
    =「あそこが良かったよね」、とか、「ここが良かったよね」とかいう色々なジャンルの枠のこと。


    ただ、
    見てない、経験していない物について、
    あれやこれやを ”したり顔で” 言うのは、全くもって好きではありませんので、
    出来る限り見たり、経験したいと思っています。

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