413. 小という漢字の成り立ちについての考察
- 2018/02/15
- 16:08
前の記事412. 漢字ドリル9 (小その2)
で、小という漢字の成り立ちに関する、
「ぼくにはこう見えちゃったんだけど」的に提案した発想があるのですが、
根拠を折角なので、書いておこうと思います。
これから書く内容は、2パートあって、
1. そもそもの由来(三点発祥)だと、気分が乗らないよ~
2. 人のポーズの方がしっくりくるよ~
という展開になっています。
1. そもそもの由来(三点発祥)だと、気分が乗らないよ~パート
人が絵的な物を描いて、描ける最小のものって、
「点」だと思うんですよ。
筆で書くと、点(留め)で済むのですが。
「小さい」という気分や状態を表すのに最適である「点」だったものが、
なぜ、画く面積の増えた線に三本とも変化し、
大きくなる方向性に変化していったのかが
不思議なんですよね。
そもそもの意匠が捨てられちゃっているかことになるんです。
(結局、意匠の意図がゆがんじゃっているんじゃないかと思えちゃうんですよね。)
まとめると、下の図になります。

僕は、この大きくなる方向の変化に違和感を覚えちゃうんですよね。
「なぜ、わざわざ、そう書き換えるんだ???」ということです。
で、あまり好きではないということなんです。
2. 人のポーズの方がしっくりくるよ~パート
大という字は「人のポーズ」としてしっくりくるようなんです。
(北斎さんも大の字で、人が踊っているように画いて楽しんでいたようですし)
で、こちらは「大」の字の由来として定着しているようです。
絵で描くとこういう状態の人です。

それに対し、人にとってのもっともコンパクトにまとまった状態というのは
お母さんのおなかの中にいるときのポーズだと思いますが、
生まれて起きている人のポーズとして小さいのは
「気をつけ」をしているポーズってアリなんじゃないかとんですよ。
つまり、両手両足を閉じているポーズというのも
人の小さくなっている状態を表すのに適していると思われます。
絵で描くとこういう状態の人です。

こういう表現もあったかもしれませんが、

左はともかく、右は字として判別しにくいし書きにくいでしょうから、
なさそうなんですよ。
(右は田楽か何かの串刺しと勘違いされても困りますし。)
今の小の字の方が生き生きした人の表現になっていると思います。
自分の体のパーツ、良く動かせる四肢を
広げたときに「大」
閉じて狭めたときに「小」
と表現していると考えると、
発想に一貫性があるので、
自然じゃないかと思われます。(*下でもう少し議論します。)
大、小というのは互いの比較から発する概念で、
具体的な物ではなく、状態を表す言葉ですから、
一つのもので表現しているのは
違いがわかりやすく、
良く表現できているということになります。
(自然科学の実験の手法で必須の条件ですよね。)
また、
人が「大」と「小」の概念を体で体現したときの様子が元で
それを表す漢字になっているとすると、
心の状態も表現されているんじゃないかと思われます。
概念を捉えるのは最終的に人の心であることを考えると、
この「大」と「小」の漢字による表現は
非常に秀逸な表現だったのではないかと
思われるんです。
ということで、
「小」の字は
こっち↓

じゃないかと思うんですよねぇ。
こっちのほうが僕の心はしっくり来るんですけれど。
これで、一応の議論は終わりですが、
上の(*)の続きです。
漢字の歴史は古いですので、
途中で失伝することがあるでしょうし、
「大小」などのペアになるような概念の2つの漢字であったとしても、
別の由来から来た漢字同士がくっついてしまって
二つの漢字の由来の発想が一貫していない事もあると思いますが、
考えてみて、
「発想に一貫性があるなら」、
そちらの由来の解釈ほうが自然ではないかと思われるんですよね。
とりあえず、
教わる物に関してでも、
自分でどうかなぁと思いを巡らすのは大切ですので、
漢字ドリルに内容として入れてみました。
で、小という漢字の成り立ちに関する、
「ぼくにはこう見えちゃったんだけど」的に提案した発想があるのですが、
根拠を折角なので、書いておこうと思います。
これから書く内容は、2パートあって、
1. そもそもの由来(三点発祥)だと、気分が乗らないよ~
2. 人のポーズの方がしっくりくるよ~
という展開になっています。
1. そもそもの由来(三点発祥)だと、気分が乗らないよ~パート
人が絵的な物を描いて、描ける最小のものって、
「点」だと思うんですよ。
筆で書くと、点(留め)で済むのですが。
「小さい」という気分や状態を表すのに最適である「点」だったものが、
なぜ、画く面積の増えた線に三本とも変化し、
大きくなる方向性に変化していったのかが
不思議なんですよね。
そもそもの意匠が捨てられちゃっているかことになるんです。
(結局、意匠の意図がゆがんじゃっているんじゃないかと思えちゃうんですよね。)
まとめると、下の図になります。

僕は、この大きくなる方向の変化に違和感を覚えちゃうんですよね。
「なぜ、わざわざ、そう書き換えるんだ???」ということです。
で、あまり好きではないということなんです。
2. 人のポーズの方がしっくりくるよ~パート
大という字は「人のポーズ」としてしっくりくるようなんです。
(北斎さんも大の字で、人が踊っているように画いて楽しんでいたようですし)
で、こちらは「大」の字の由来として定着しているようです。
絵で描くとこういう状態の人です。

それに対し、人にとってのもっともコンパクトにまとまった状態というのは
お母さんのおなかの中にいるときのポーズだと思いますが、
生まれて起きている人のポーズとして小さいのは
「気をつけ」をしているポーズってアリなんじゃないかとんですよ。
つまり、両手両足を閉じているポーズというのも
人の小さくなっている状態を表すのに適していると思われます。
絵で描くとこういう状態の人です。

こういう表現もあったかもしれませんが、

左はともかく、右は字として判別しにくいし書きにくいでしょうから、
なさそうなんですよ。
(右は田楽か何かの串刺しと勘違いされても困りますし。)
今の小の字の方が生き生きした人の表現になっていると思います。
自分の体のパーツ、良く動かせる四肢を
広げたときに「大」
閉じて狭めたときに「小」
と表現していると考えると、
発想に一貫性があるので、
自然じゃないかと思われます。(*下でもう少し議論します。)
大、小というのは互いの比較から発する概念で、
具体的な物ではなく、状態を表す言葉ですから、
一つのもので表現しているのは
違いがわかりやすく、
良く表現できているということになります。
(自然科学の実験の手法で必須の条件ですよね。)
また、
人が「大」と「小」の概念を体で体現したときの様子が元で
それを表す漢字になっているとすると、
心の状態も表現されているんじゃないかと思われます。
概念を捉えるのは最終的に人の心であることを考えると、
この「大」と「小」の漢字による表現は
非常に秀逸な表現だったのではないかと
思われるんです。
ということで、
「小」の字は
こっち↓

じゃないかと思うんですよねぇ。
こっちのほうが僕の心はしっくり来るんですけれど。
これで、一応の議論は終わりですが、
上の(*)の続きです。
漢字の歴史は古いですので、
途中で失伝することがあるでしょうし、
「大小」などのペアになるような概念の2つの漢字であったとしても、
別の由来から来た漢字同士がくっついてしまって
二つの漢字の由来の発想が一貫していない事もあると思いますが、
考えてみて、
「発想に一貫性があるなら」、
そちらの由来の解釈ほうが自然ではないかと思われるんですよね。
とりあえず、
教わる物に関してでも、
自分でどうかなぁと思いを巡らすのは大切ですので、
漢字ドリルに内容として入れてみました。