394. 勝手に許されたとして、復縁してこようとする人
- 2018/01/19
- 22:33
みなさんの周りにもいると思うんですよね。
こちらに迷惑をかけて、問題になって、
こちらが怒って、逃げた人が。
で、数ヶ月とか数年とかして、
「怒りのホトボリ冷めたよね~。」
とか勝手に思っているようで、
復縁しようとしてくる人がいるじゃないですか。
問題解決して縁が切れた人のことなんて、
こちらは気にせずに暮らしているんですよ。
その数ヶ月とか、数年とか。
しかし、だからといって、
こちらが迷惑をかけてきた人を許したわけではない
んですよね。
義務教育の教室内で起きた問題で、
問題を起こした子供の教育の機会を取り上げることが出来ないために、
(義務教育ですからね。)
今までと同じように机を並べて加害者と被害者が授業を受けているのとは
違うんですよ。
(加害者が心から反省して、ちゃんと仲直りがきちんと出来ている可能性もあります。子供ですから。)
こちらの気分としては、
「折角、こいつが悪い奴(変質者、変態、おかしい奴、詐欺師など)って
わかる情報をゲットしているのに
なんで、こいつを普通の人として扱わなければいけないんだろう」
と思うんですよね。
迷惑をかけた相手が、迷惑でない人に変わっているかが重要で、
「怒りのホトボリ冷めたよね~。」とかいう問題じゃないんですよね。
でもたいがい、「今までと同じように仲良くできるよね」とか言ってくるんですよ。
しかも、勝手に「怒りのホトボリ冷めたよね~。」とかこっちの怒りの量を決めてるなんて、
こちらを非常に舐めていると思うんですよ。
どうも、
そういうことを言ってくる人は、
問題を取り違えて間違えちゃっているんでしょうけれどもね、
普通は許しませんよ。
「あんたがあんたである限り、
許さないからね」という
こちらの断固とした結論
なんですよねぇ。
時間が経って、怒りとか噂のホトボリが冷めるとかそういう問題じゃないんですよ。
<追記>2018.01.19
まあ、こういう対応の仕方もあるということなのですが。
222. 「人の心に悪魔が棲む」と言う表現にある
更正出来ない人に対する方の対応となるでしょうけれども。
反省して行動を改められる人かどうかと言う判断が大事になる
とは思います。
つまり、
個人的なつきあいの範囲とはいえ、
相手の見極めが大事になる
と思うんですよね。
こちらとしては普段の人付き合いでの判断通りですけれど。
結局、
良い人の犯してしまった過ちとは違う場合のことです。
こちらに迷惑をかけて、問題になって、
こちらが怒って、逃げた人が。
で、数ヶ月とか数年とかして、
「怒りのホトボリ冷めたよね~。」
とか勝手に思っているようで、
復縁しようとしてくる人がいるじゃないですか。
問題解決して縁が切れた人のことなんて、
こちらは気にせずに暮らしているんですよ。
その数ヶ月とか、数年とか。
しかし、だからといって、
こちらが迷惑をかけてきた人を許したわけではない
んですよね。
義務教育の教室内で起きた問題で、
問題を起こした子供の教育の機会を取り上げることが出来ないために、
(義務教育ですからね。)
今までと同じように机を並べて加害者と被害者が授業を受けているのとは
違うんですよ。
(加害者が心から反省して、ちゃんと仲直りがきちんと出来ている可能性もあります。子供ですから。)
こちらの気分としては、
「折角、こいつが悪い奴(変質者、変態、おかしい奴、詐欺師など)って
わかる情報をゲットしているのに
なんで、こいつを普通の人として扱わなければいけないんだろう」
と思うんですよね。
迷惑をかけた相手が、迷惑でない人に変わっているかが重要で、
「怒りのホトボリ冷めたよね~。」とかいう問題じゃないんですよね。
でもたいがい、「今までと同じように仲良くできるよね」とか言ってくるんですよ。
しかも、勝手に「怒りのホトボリ冷めたよね~。」とかこっちの怒りの量を決めてるなんて、
こちらを非常に舐めていると思うんですよ。
どうも、
そういうことを言ってくる人は、
問題を取り違えて間違えちゃっているんでしょうけれどもね、
普通は許しませんよ。
「あんたがあんたである限り、
許さないからね」という
こちらの断固とした結論
なんですよねぇ。
時間が経って、怒りとか噂のホトボリが冷めるとかそういう問題じゃないんですよ。
<追記>2018.01.19
まあ、こういう対応の仕方もあるということなのですが。
222. 「人の心に悪魔が棲む」と言う表現にある
更正出来ない人に対する方の対応となるでしょうけれども。
反省して行動を改められる人かどうかと言う判断が大事になる
とは思います。
つまり、
個人的なつきあいの範囲とはいえ、
相手の見極めが大事になる
と思うんですよね。
こちらとしては普段の人付き合いでの判断通りですけれど。
結局、
良い人の犯してしまった過ちとは違う場合のことです。