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236. 教育者の言動と教育理念

  • カテゴリ:教育


  • 前記事235. 人の行動と責任で、
    教育理念(どういう人間像が望ましいか)というように書いたんですよね。

    「どういう人間像が望ましいか」というのは、
    他人についてや他人のお子さんについてのみ考慮に入れられているものではなく、
    何よりもまず、自分自身のなりたい人物像であるんじゃないかと思うんですよね。

    「教育者」という「他者に何らかの影響を及ぼす」というお仕事の形態上、
    他人についての思索の結果であると思われがちですが、
    一般に教育者と呼ばれる人も、
    何よりも自分自身の人生を賭けて、
    自分自身の人生の方針を決めないといけない

    んですよ。

    ですから、
    ある教育者の教育理念は
    本人が体現すべき、
    というよりも、
    本人がすでに体現していると考えるのが妥当ではないか
    と思われるんです。

    なので、教育者の言動には
    意味が必ずあり、
    その言動にはその教育者の教育理念
    (どういう人間像が望ましいか)が
    必ず表れている

    と考えられるんです。

    これは学校としての教育理念とは分けて考えられるべきだと考えられます。
    (先生が学校に一人の場合は一致すると思われます。)
    上記のように、教育理念は教育者本人が本人の人生の方針に則ってすでに体現していると考えられるので、
    一人一人の生き様というものがある以上、
    全ての教育者は一人一人それぞれ個別にどういう人間像が望ましいかを心に抱いている
    と考えられます。
    ですから、
    ある学校の全教員の教育理念が全く同じであるということはない
    と思います。

    学校としての教育理念・方針と一人の先生の教育理念・方針の関係は

    という包含関係になっているんだと思います。
    (学校の方が大きいと、先生としての任務を全うできないでしょうし、
    学校側が完全に入っていないと、
    先生本人の納得のいかない教育理念に従うことになり、「む~り~」でしょうから。)

    また、所謂「教育者」という社会的立場にいるかいないかに関わらず、
    全ての人は、一人一人の心の中に「どういう人間像が望ましいか」を抱いて体現しつつ生きているでしょうから、
    (みなさん、自分の人生を賭けて生きているんだと思いますよ)
    みなさん、教育理念というものを持っていることになります。
    それに基づいて、自分の子供をはじめとする他者と接することになるんだと思います。
    全ての言動に、その人の教育理念に基づく意味があり、
    それに基づいて他者に影響を与えている事になります。

    また、ですから、
    上の図はその学校に子供を通わせる保護者の人の教育理念・方針についても同じ関係になると思います。
    (そうでないと、通わせられないですよね)
    なので、学校に子供の教育を全てお任せということはないでしょうし、
    家庭での教育が大事になると思います。
    そのため、
    親御さんが明確に「どういう人間像が望ましいか」を
    自分の心の中で把握できるようになってないと困る

    んですよね。

    また、親が「人に迷惑をかけて気分がよい人物」像に近いと、
    235. 人の行動と責任で述べた教育方針が家庭内で発生することになるでしょう。
    さらに、223. 親が悪ければ、子も悪いかで述べたように、
    「人に迷惑をかけて気分の悪い人」な子供が
    親の教育によって様々な形で迷惑を被り、
    被害者になって苦しむことも起こりえるんです。

    プロフィール

    高久 真生(たかく まさお)

    Author:高久 真生(たかく まさお)

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