161. あるらしいと言われているんですよね、分断線が
- 2016/12/30
- 14:29
Yahooニュースを見ていたら、
「「学歴」で分断される日本のリアル」
という記事がありまして。
「大卒の家庭は、大学に行くメリットを知っている」から、大学に子供を進学させようと考え、適切に貯蓄するし、
そういう人生を子供は見ているから、大学に行くものだと思っていて大学へ行こうと勉強するということらしいんですよね。
それがないから、高卒のご両親のご家庭では、子供は大学へ行きたいという希望を持ちにくいと。
つまり、学校に行くメリットというものが何かと言うことなんですよね。
わからないで、わかっている人と同じように行動する、つまり勉強するということはあまりないんじゃないかと思います。
それが人として自然な姿だと思います。
自分に必要なこと(楽しみも含めて)だとわかれば、自然とすると思います。
僕は、高校、大学、大学院に行くメリットというのは、
良い職に就ける(かもしれない)というアバウトなものだけなのでしょうか。
僕は「一般的に言われている良い職と言われる職の定義」がよくわからないので、アバウトと表現しているのですが。
高校、大学、大学院と
文部科学省のおすすめカリキュラムがあるんですよね。
どの程度の修得度で、合格として卒業を認めるかという一定のラインがあるんだと思います。
博士を取るための訓練をして、博士を取ったわけですが、
1 正しく論理的に考えられる力をつけること
2 その分野(商業的なものでも分野がありますよね)の発表物を正確に理解し、
その分野の現在についての広範で正しい知識をつけること
3 自力でその分野で新しい研究開発できるような技能を身につけること
(新たな発見、発明をして、問題解決のための突破口を開くことを含む)
4 正しく自分の考え、発見を人類社会における価値づけを行い、適切に発表することができるようになること
を身につけている必要があると思うのです。
これらができて、自分の新たな論文を発表し、新たな価値創造をすることができるようになるんだと思います。
これらができないと、新たな商品や新たな生産システムなどを作って世に問う(つまり、売る)ことができないですよね。
(理系の場合博士課程は職歴扱いとなることが多く、研究上行うべき価値のある次の研究(大学院での博士課程での研究内容)と、実際の社会で求められている研究(たとえば企業さんで必要な研究)と異なることがあると聞いています。)
それらの技能を持って自分の好きな仕事をできれば、
かなりの自由度を持って仕事をできるのではないかと思うのです。
一つの仕事をするのにも様々な分担作業があると思いますが、
上記のことが学校で訓練されたかそうでないかに関わらず、
その仕事に関して上記のことをよりわかっていて、適切に判断できる人が
より自由な采配を任されるのではないかと思うのです。
学校でそのやり方を教えるコースがあって、それが文部科学省のおすすめコースである、
高校、大学、大学院へと連なる学校だと思うのです。
なので、学校に行けるとそれらを身につけるのに非常に有利ですが、
学校に行かないと一生身につかないかというとそういうわけではないと思います。
(学校は学校で必要性や価値があるから、存在しているのだと思いますが)
これらは博士を持った人間だけができればよいということではなく、
きちんと情報を判断し考えることができないと、
他の人の意見に振り回され、操られてしまいかねないし、
自分の気持ちに従って自由に生きることができなくなってしまいかねないので、
できれば、情報を扱う人全員、つまり学歴に関係なくみんなが身につけている方がいいと思うのです。
そのためには、まず、きちんとわかると言うことがどういうことかを把握し実感することが大事で、
前提となる条件を示し、考える道筋を追える状態で公表することで、
提示する結論を吟味し、読んだ人が新た思考することのできる記事を
僕のサイトでは公表することにしているのです。
(誰が言ったかに重きを置かず、内容で判断してもらうことを狙いとするならば、
ごく自然な行動だと僕は思います。)
学歴に関わらず、
学校の勉強だけでなく仕事に関わることに関して勉強しないというのは、
自由に生きるためのチャンスを放棄してしまうことになりかねないと思います。
職能を持っていない人に、仕事を任せる人はいないと思いますから。
「「学歴」で分断される日本のリアル」
という記事がありまして。
「大卒の家庭は、大学に行くメリットを知っている」から、大学に子供を進学させようと考え、適切に貯蓄するし、
そういう人生を子供は見ているから、大学に行くものだと思っていて大学へ行こうと勉強するということらしいんですよね。
それがないから、高卒のご両親のご家庭では、子供は大学へ行きたいという希望を持ちにくいと。
つまり、学校に行くメリットというものが何かと言うことなんですよね。
わからないで、わかっている人と同じように行動する、つまり勉強するということはあまりないんじゃないかと思います。
それが人として自然な姿だと思います。
自分に必要なこと(楽しみも含めて)だとわかれば、自然とすると思います。
僕は、高校、大学、大学院に行くメリットというのは、
良い職に就ける(かもしれない)というアバウトなものだけなのでしょうか。
僕は「一般的に言われている良い職と言われる職の定義」がよくわからないので、アバウトと表現しているのですが。
高校、大学、大学院と
文部科学省のおすすめカリキュラムがあるんですよね。
どの程度の修得度で、合格として卒業を認めるかという一定のラインがあるんだと思います。
博士を取るための訓練をして、博士を取ったわけですが、
1 正しく論理的に考えられる力をつけること
2 その分野(商業的なものでも分野がありますよね)の発表物を正確に理解し、
その分野の現在についての広範で正しい知識をつけること
3 自力でその分野で新しい研究開発できるような技能を身につけること
(新たな発見、発明をして、問題解決のための突破口を開くことを含む)
4 正しく自分の考え、発見を人類社会における価値づけを行い、適切に発表することができるようになること
を身につけている必要があると思うのです。
これらができて、自分の新たな論文を発表し、新たな価値創造をすることができるようになるんだと思います。
これらができないと、新たな商品や新たな生産システムなどを作って世に問う(つまり、売る)ことができないですよね。
(理系の場合博士課程は職歴扱いとなることが多く、研究上行うべき価値のある次の研究(大学院での博士課程での研究内容)と、実際の社会で求められている研究(たとえば企業さんで必要な研究)と異なることがあると聞いています。)
それらの技能を持って自分の好きな仕事をできれば、
かなりの自由度を持って仕事をできるのではないかと思うのです。
一つの仕事をするのにも様々な分担作業があると思いますが、
上記のことが学校で訓練されたかそうでないかに関わらず、
その仕事に関して上記のことをよりわかっていて、適切に判断できる人が
より自由な采配を任されるのではないかと思うのです。
学校でそのやり方を教えるコースがあって、それが文部科学省のおすすめコースである、
高校、大学、大学院へと連なる学校だと思うのです。
なので、学校に行けるとそれらを身につけるのに非常に有利ですが、
学校に行かないと一生身につかないかというとそういうわけではないと思います。
(学校は学校で必要性や価値があるから、存在しているのだと思いますが)
これらは博士を持った人間だけができればよいということではなく、
きちんと情報を判断し考えることができないと、
他の人の意見に振り回され、操られてしまいかねないし、
自分の気持ちに従って自由に生きることができなくなってしまいかねないので、
できれば、情報を扱う人全員、つまり学歴に関係なくみんなが身につけている方がいいと思うのです。
そのためには、まず、きちんとわかると言うことがどういうことかを把握し実感することが大事で、
前提となる条件を示し、考える道筋を追える状態で公表することで、
提示する結論を吟味し、読んだ人が新た思考することのできる記事を
僕のサイトでは公表することにしているのです。
(誰が言ったかに重きを置かず、内容で判断してもらうことを狙いとするならば、
ごく自然な行動だと僕は思います。)
学歴に関わらず、
学校の勉強だけでなく仕事に関わることに関して勉強しないというのは、
自由に生きるためのチャンスを放棄してしまうことになりかねないと思います。
職能を持っていない人に、仕事を任せる人はいないと思いますから。