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1064. 原爆投下は「日米両国の半狂乱の生み出したもの」かもしれない

  • カテゴリ:戦争
  • 本日のNHKスペシャル「証言と映像でつづる原爆投下・全記録」につきまして、
    途中から拝見させていただきました。


    とんでもない痛みと苦しみを味わった人たちが気の毒です。


    アメリカも
    「生きている人がいないだろうから、やさしい爆弾である」
    と勘違いして、実際に投下したと聞いています。

    現実は「望んだ以上にひどかった」もようです。

    そして、

    アメリカが
    原爆投下の結果についての本当の情報を隠した
    ということは

    原爆投下の人的被害が
    アメリカにとって不都合に働く
    という認識があったからではないか

    と思われます。


    ただ、憂慮すべき点がもう一つあって、

    日本人が人であるというように見られず、

    害をまき散らす(意思のある)「人でない何か」のように思われてしまっていて、

    「人を傷つける行為」というより、
    「自分たちへの害をせん滅する行為である」とのみ思われていたのが

    恐ろしい結果を招いたのではないか

    と思います。


    日本が、
    自滅してでも攻撃しようとする態度と実際の攻撃という
    自分を守ろうとしない正気の沙汰ではないことを
    いつまでもあきらめずに、
    国民全員でやっていて
    狂乱状態だったのではないか

    と思いますし、

    アメリカも
    日本と言う国の戦争においてやっていた
    いつまでもあきらめず、
    自滅してでも攻撃しようとする態度と実際の攻撃に対して

    半狂乱気味になって
    日本人を「害をまき散らす人でない何か」と思ってしまい、
    過剰攻撃に至った

    ようにも思えます。


    その結果の原爆投下という
    「やりすぎ」が起きてしまったように
    思えました。


    交渉の土台が見つからないような
    バーバリアンと思われてしまっていては

    攻撃による降伏を徹底的に進められてしまう

    に違いありません。

    (「敵国がひどい攻撃をする」と言って
    怒ってもしょうがないんですが。

    なんか、自分が加害しても「自分に対してはひどいことされない」と
    思っている認識の甘い人がいるんですよねぇ。)


    「自分たちの生命、生活を守ろうとする望みがある人」でないと、
    「何をする人なのか」信用されない

    のは明白


    です。

    「平和憲法」と言われる
    現行の日本国憲法にあるように
    他国に信用されて交渉のテーブルに就けるような
    理性分別のある国民であることが

    結果として、
    自分たちの身を守るのではないか


    と思います。
    (僕の日本国憲法の前文の解釈9条の解釈もご覧ください。)



    <ご報告>2020.08.07
    全部見ました


    全編見ましたが、
    基本的な解釈は変わりません。


    「日本に非常に甘い認識の人たちがいたな」
    という印象が増えました。


    よろしくお願いします。
    (あと、NHKスペシャルの番組ページにリンクを張りました。)



    <追記>2020.08.07
    太平洋戦争に「日本の誇り」なんてないし、
    そんなものいらない


    あぁ、<ご報告>の
    「日本に非常に甘い認識の人たちがいたな」
    という表記が誤解の渦を招いているもよう

    なんですが、

    アメリカやソ連が手加減してくれるなんて、
    非常に甘い認識すぎて、

    加害者の言い分によく見られる
    「俺はお前に思いっきりやるけれど、
    俺に対しては、命を取らないで手加減してくれるよね」という
    認識の甘さに似ているな


    と思った次第です。


    ちなみに、
    自分が生まれる前の戦争に対して、
    賛成ではないので、責任を取る必要はない

    んですよねぇ。


    「誇り」なんて全然感じないですし、

    生まれる前の選択権のない時代の失態、犯罪に関して、
    わざわざ「誇り」なんて感じて
    責任の一端を取って背負う必要もない


    んですよ。


    僕は、
    「戦争責任は戦争したがった人間が取ればいい」
    という立場で、

    僕は、全く賛同していませんので、
    戦争責任は僕のところにはないし、
    僕に言われても知らないよ


    という立場なんですよ。


    戦後、日本国憲法の元、
    嫌々日本国憲法の下で暮らしていない人が多いであろう日本で、

    全員が心の底から
    人殺しをしたがった

    とは

    思っていません。


    戦争したがった人間、
    戦後生まれで戦争に誇りがあると思いたい人間だけが
    戦争責任を取ればいい


    と思いますよ。
    (「753. 2020東京五輪の会場に北方領土ですって」参照ください。)


    わざわざ親の代の罪まで背負う人はいません。


    「太平洋戦争で日本が国という単位でひどいことをしたな」
    とは強く思いますが、

    戦争責任のある人のところに
    ちゃんと責任がつけばいい

    と思います。
    (正直、日本の集団から、
    戦争やりたい人、戦争で人を殺したい人、財産、福利を破壊したい人を
    切り離したい
    んですよねぇ。)



    <修正>2020.08.07
    <ご報告><追記>の日付を
    修正しました


    すみません。



    <追記2>2020.08.07
    「戦争したい人」と
    「戦える人」は違う


    「戦争したい人」、「人を殺したい人、加害したい人」と
    「戦える人」って違う


    と思いますよ。


    「戦える人」って

    「悪人、ならず者に対応できる実戦力を持っている人」
    だけでなく、

    「適切に身を守るすべや気持ち、意識を持っている人」

    でもあるだろう
    と思うんです。


    「戦争したがらない」=「戦えない人」ではない

    んです。


    「戦争したがる人」とは明確に意味が違う
    と思う

    んですよねぇ。


    「戦争したい気持ち」や「人を殺したり、財産、福利を害したい気持ち」と
    縁遠い、自分からは思いつかない人

    っています
    し、

    たとえ戦犯の人の子孫であっても、

    そういう殺人願望と縁遠い人って、
    「親の罪は親の罪」として
    「自分とは違うな」と切り離して

    精神的に自立して暮らせるんじゃないか

    と思うんですよね。


    「一億玉砕」を望んだ人って、

    「自国民が死ぬ」こと、

    自分も含んで、他人の死を望んで、
    他人にも死を要求する、

    つまり、
    「自国民の他人を殺人することを望む」ことになるでしょうから、

    論外ですよね。
    (外国の方に対する殺人も論外ですが。)

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