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1061. 対話なくして「大学」は名乗れないかなあぁ

  • カテゴリ:大事なつもりなんだけど、読んでみて (中高生向け)
  • 「大学」ってどういう所かと言うと、

    黒板の前に座って講義を受ける「座学」や
    実習や実験のメニューをこなすだけではなく、

    「対話や質問を通じて、
    考えを深めたり、お互いにお互いの間違えをチェックし合う」場


    なんですよ。


    ギリシャのソクラテスさんの研究手法、講義手法として有名で
    「対話による思考」は長い歴史があるのですが、

    時代が下って、

    この流れとして

    大学でのゼミや
    教授の先生、先輩、同じ学年の友人との
    対話による教育、研究がある

    んですよね。


    卒論や大学院での学びというのは

    自分で勉強をしたり、調べたり、考えたり、作ったり、研究手法を学ぶだけでなく、

    教授の先生などとの対話、質問によって

    先達である先生たちの思考に触れたり、
    質問されて自分の考えに足りない部分を自覚し、考え、
    自ら答えを出す

    ことにより、

    思考を深化させたり、
    精密さを上げたり、
    間違えをチェックしたりする能力を上げる


    という場が

    エッセンスとして必要となるだろう

    と思います。
    (自分でしっかり勉強したり、研究したりしないと
    大きくは育ちません。

    「対話、質問」はスペシャルドリンクみたいなもんです。)


    対話、質問なくして、
    自分で勉強するだけでは
    独りよがりでなく平たい思考に変化するのは
    難しいのではないか


    と思います。

    (先生にとっても、
    ちゃんと考える力のある学生と対話することにより
    しっかりと考える機会が増えるので
    良い効果があるだろう
    と思います。)


    ですから、
    大学は同僚の先生との対話、質問によるチェックも大事ですから、
    スタッフ一人では大学とは名乗れない
    んですよね。
    (一人の場合は、「私塾」じゃないですかね?)


    僕の「文章術」の
    長い文章ってどう書くの?」で

    大学に入りたい人の志望動機というのを書いたのですが

    まさに、
    「さらに、美術の歴史を研究する先生方や先輩、同学年の学生と議論することで、より深く、
    また独りよがりでない絵画の見方を身に付けたいと思っている。
    そのため、大学という研究の場で学ぶことを望んでいる。」

    ということなんですよ。

    (僕が博士を取ってから、塾の講師の模範解答として書いたものなのですが、

    そういうものを求めて大学に行って欲しい
    という気持ちで
    書かれています。)



    <追記>2020.07.31
    リベラルでなければ、大学として
    まともに機能しないのでは?


    自由な思想が花咲くのを阻害しない
    リベラルな校風の大学でないと

    自由な議論が抑圧されて、

    結果、思想、思考の成長が阻害されそう

    なんですよねぇ。


    そうすると、

    リベラルでないと、

    「考える場」としての大学として機能しにくくなるでしょう。


    ただ、様々な思想を阻害しないために、
    犯罪者的な思想の人も混ざっちゃうこともあるもよう

    なんですよね。
    (誰をスタッフとするかで選択はされているでしょうけれど。

    議論したい相手をスタッフとして呼んだりしますし。)


    ただ、
    どのような議論、思想も
    議論を尽くして、どのような価値のものかを
    平たく評価すべきでしょうから、

    ちょっと高度な判断力が必要となる場


    なんですよ。


    「論」として存在しているからと言って、
    必ずしも「良いもの」「重要なもの」として扱う必要はない

    んですが、

    「青少年の育成に良くない本」などと言って、
    誰かが価値づけをし、
    検閲して
    目に触れないように除外することがないので、

    どんな価値のものかを
    自分の力で正しく判断する判断力を持たないといけない場

    なんですよ。
    (大人になると、「自分で判断できるよね」と自由な言論の野に放たれますよねw)


    議論して自分の思想や相手の思想を
    発展させる場
    ですので、
    広い耳を持たない独善的でありたい人には
    あまり向かないかもしれません。


    どんな議論をもきちんと検討すると言っても、
    犯罪行動をする人は
    大学という組織に入れることは難しいんじゃないですかねぇ。



    <追記2>2020.07.31
    「自ら問いを発する」のも大事


    誰も考えたり、答えを出したことのない、
    (言葉や式や図になっていない)
    問いを自ら発して

    自ら解くのが研究


    です。


    大学において、

    きちんとした理論、論理としての対話術を学び、
    身に付けることも大事


    でしょう。



    <追記3>2020.07.31
    大学という場でなくても


    大学内と同じような姿勢で
    議論をすることで

    お互いの考えを発展させ、
    みんなで間違えない感じになれる可能性を高めることが

    できるのではないか


    と思います。

    (間違える可能性を下げるのは大事です。

    人は神様ではないので、
    「これが絶対正しい」とお墨付きの解答を付けることは難しいんで。)


    大学における研究、調査、議論、質問の手法は
    自らの知を発展させ、精度の高い情報を得るために有効だろう


    と思うんですよ。


    そうやって、確からしそうな知の山ができてきていて、

    最近はそのスピードが速いのではないか

    と思うんです。



    <追記4>2020.07.31
    教授は
    宗教の教祖さん的な感じでは
    ないんで


    「大学の教授」って

    宗教の教祖さんのなさるように
    一方方向に教えを授ける人

    ではないんで、

    「(自分でも頑張るけれど)
    対等な議論に揉まれて思索し、
    自らの考えを深める人(未完成)」


    なんですよ。


    なんで、
    自分の成長のためには
    自分の好みでえり好みせず様々な問題を考える必要があるだろう


    と思いますよ。


    考える機会の一つとして
    学生との対話、学生の育成の機会がある感じ
    なんですよね。

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